
ナカンダカリトシノリ
Director
これまで現れた種々の表現形態の発展を観察すると、どの表現もテクノロジーの発達により民主化されてきました。
絵画であれば、発色のいい絵具をつくるところから画家がしていたものが、紙を誰でも安く買えるようになって身近になり、今や端末が1台あれば誰でも無限に制作できるようになりました。音楽や写真、その他の表現形態も同様です。真に大衆に受け入れられるものになるにつれ、高度な技術を会得すらが必要条件でなくなり、誰でも参入可能になりました。
そして映画の民主化は過渡期にあり、「映像」として種々のSNS動画に収れんしていっています。Youtuberに代表されるSNSのインフルエンサー達は、新しい時代の映画制作者です。
近年製作される映画は、かつてに比べてかなり収益の確実性があがりました。大予算をかけた実験的な映画が減り、これまでのデータの蓄積によって、「楽しめる映画」を合理的に製作できるようになったためと想像します。
しかし、実際はまだまだ不確実な要素は多く、他の投資に比べると圧倒的に効率・回収率ともに、IT事業の発展が進むにつれ、相対的に低くなっているはずです。
いまの形で映画が存在するのは、「文化事業は残しておいた方がいい」という感覚と、「まだ安定してヒットが生み出せる企画があるから」というなんとなくの了解があるためです。
現在の映画文化はそれらが崩れた時点で消滅しかねない生きた化石です。 誰でも映画が撮れる時代になった今、大予算でスターが出る映画を生産し続けることに意義を感じません。
映画の懐を広げ、表現としてさらに発展していくには、「もっと小さく、個人的なものになっていくべき」と考えます。
我々が目指すのは、『完全自費制作で、安定的に配給される映画づくり』です。 そして、物語至上主義に陥ることなく、映画表現の純粋性に磨きをかける映画の純粋表現とは何かを追求するチームです。
技術、表現手法すべてにおいて、大作映画では決して作られない作品を作り続け、それらを安定的に配給することにより、新しい映画の形を作ります。

プロフィール
私について
1990年沖縄うまれ。2012年頃より熊本にて映画制作を始め、撮影・編集を主に担当する。
映画は、歴史的に種々の表現形態の発展を観察すると、どの表現もテクノロジーの発達による民主化で、絵画がイラストに、音楽がポップスに変容し、真に大衆に受け入れられるものになりました。そして映画は、種々のSNS動画に収れんしていっています。
その意味において誰でも映画が撮れる時代になった今、大予算 でスターが出る映画を生産し続けることに意義を感じません。映画の懐を広げ、表現としてさらに発展していくには、「もっと小さく、個人的なものになっていくべき」と考え、その理念のもと私たちは映画を撮っています。