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撮影したデータは有料ですか?というご質問


しゃしんのえほんの仲村渠(ナカンダカリ)です!


ここではデータの取り扱いのお話をさせていただいていますが、大半の方にとっては退屈かもしれません…


しかし、写真をデータでやり取りしている以上とても重要な事だとおもうので、僕の考えを公にしておきます。


撮影ではたくさんの写真を撮らせていただき、多い時には200枚近く納品させていただく事もありますが、

僕はこの写真データの価値は「0(ゼロ)」

だと考えています。


極論を言っているように思えるかもしれませんが、例えば「いまスマホに入っている7年前に撮った写真を目にする機会」がどれほどあるでしょうか?

ほとんどの方が「入っていない」か「ゼロ」だと思います。デジタルデバイスは、すべてにアクセスできる分、すべてのコンテンツが競合になるため、目に新しいもの以外の優先度は下がる一方で、愛着のあるものに繰り返し触れるという感覚が育ちにくいです。

そのため、どれだけきれいないい写真を撮っても、日々とんでもない速度で増えていくデータの海の中ですぐに埋もれてしまうのです。そこに個々の質は全く問われず、完全に量がすべてを凌駕する世界です。


その観点から、情報に質をもとめるのではなく「整理の方法」にこそ質が問われます。写真でそれを実現しようという僕の試みが「しゃしんのえほん」です。しゃしんのえほんは、生まれてから1歳を迎えるまでを一冊のえほんにしたフォトブックで、一冊作るのにとても手間のかかるものですが、お誕生日の写真や七五三でも「整理して目の届く所にある」事は同じく重要です。

目の届く場所にあれば、お子さまが自分の意志で勝手にアクセスする事も可能になり、繰り返し触れることでもの自体への愛着もわくからです。)これをデジタルデバイスで実現するのはかなり難しいとおもいます。例えばスマホで繰り返しふれても、愛着の行き先がスマホになる可能性の方が高いためです。)そうやって、一人で立つこともできない幼い自分の写真に繰り返し触れる事で、それを支えてくれたご両親への気持ちや、自分より年少の子を思いやる気持ち、さらには自分への肯定感を育み得るものになるのではないかと期待しています。


それを実証するにはまだまだ年月が要りますが、わが子でつくった「しゃしんのえほん(

りく)をときどき読み聞かせるとかなり期待できるのではないかと思えます。


そのため、撮影をしたみなさまにはフォトブックにまとめることはお勧めしています。

これは販促用の記事ではありませんので、注文ページへの誘導はしません。


フォトブックはデータがあればご自身でも作る事ができるので、こちらで注文されなくても、どこかの節目で「本にまとめる」事をお勧めしています!


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